きいちゃんへ ~新米ママの赤ちゃんへの手紙~

本業女医。でも、作家になりたかった私の、子育て・物思いの記。

流産したときの、祖母との思い出

祖母、今年の夏で94歳。

傍からみれば元気溌剌とした祖母も、このところ暑い夏がくるたびにどこか元気がなくなってきたように見えます。その姿を見ていると、ああ、もうじき彼岸というところへ逝ってしまうのかな、という気持ちに少しずつおそわれます。

祖母自身もそういった兆しを感じとっているのかもしれず、いつの年だったか、おみくじで凶がでたときは、そのあとで手当たり次第にお守りを買いあさっていました。どんなに高齢になっても死を恐れているその姿は、なんだか哀れで、軽い気持ちで「おみくじ引こうよ」と誘ってしまったことを、私は後悔したものでした。

祖母のもとを訪ねると、思い出の品にかこまれてぼんやりしている姿を見かけるようにもなりました。女学校時代の答辞など、ごわごわに古びて丸まった紙を、何度も何度も広げ直して眺めているのです。ちょっとのぞくと、こんなことが書いてあります。

 お誓ひの詞

 古戸野の春 風暖かに鳥歌ひ 百花色とりどりに咲き乱れてまことに美しくうららかな粧ひをこらし 私共を招いて居るかのやうでございます。常日頃あこがれの的でありましたこの學び舎 入學を許されて今日から樂しくいそしみ得る喜びに 胸おどらせてゐるのでございます。時あたかも紀元二千六百年 八紘一宇の尊き道を打ち建てるためにふるひ起ってゐる有難い年に…………

その他にも、昔の古い写真や手紙が祖母を取りかこんでいました。誰それの血圧がこのところ高いとか、そんなこと。もうとっくに死んだ人たちの書いた文字が、私が生まれる前の日々の、体調不良だの外国の情勢だのといったことを物語っていました。

それを見ていると、私の生まれるずっと前から世界はとうにはじまっていたこと、私の知らない昔の日々は、覚えている、思い出せるものとして、祖母の思い出のなかに閉じ込められているのだということがわかります。今、私のお腹の中にいる子も、いつか今の私の写真を見て、同じようなことを思うのでしょう。

 

ところで、私が初めて妊娠したのは2年前でした。

初期だったにもかかわらず、私は祖母に妊娠のことを告げました。

途端に祖母の目尻がしわしわの三日月になり、白濁した瞳がまるで子どものように輝いたのでした。変な話ですが、赤ちゃんが来るというのがこんなに嬉しいことだったなんて、私はそれまで知らずにいました。

「これでおばあちゃん、いつまでだって生きちゃうよ」

と、このうえなく幸せそうに言ってくれました。

 

流産がはじまったのはそのちょうど一週間後でした。

その日は土曜日で、私は仕事をしていました。お昼休みに出血に気づきました。どきどきする胸をおさえながら夕方7時に退勤し、時間外で病院を受診しました。まだ赤ちゃんは見えていました。でも、その夜からどんどん出血が増えてきてしまいました。

流れませんように、流れませんようにと念じながら、ベッドの上でじっとし、まんじりともしない夜を過ごしました。ときどきお腹がチクリと痛むごとに「今の、気のせいだよね?」とか、「やめて、お願いだから去っていって……」とか、祈りに祈りました。そしてトイレに立つたびに、出血の量に動揺しました。

日曜日の夜になって、おそらく今回は駄目だったなと悟りはじめました。部屋には、妊娠中に健康でいようと思って買った品々が並べてありました。並べたときの幸せな気持ちを思い出し、室内の景色が涙で歪みました。

 

週明けに受診すると、すでに赤ちゃんは流れてしまったあとでした。会計をすませ、駐車場に出ると、祖母に妊娠を報告した一週間前とはうってかわった、秋らしい風が吹いていました。

祖母にメールをしました。

「今回は流れちゃったよ」

やがて返事がきました。

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「まりーーーT_T」

 

それだけ。

おばあちゃん。。。

おばあちゃんが顔文字を使いこなせたことを、今はじめて知ったよ。。。

会ったとき、祖母はとくに残念がったり寂しがったりはしませんでした。「そっかそっか」と言いながら頭を撫でてくれただけでした。いつもちょっとしたことで大げさに涙を浮かべる祖母なのに、あのときだけはそうしなかったのが心に沁みました。

 

 

2年経ち、私はふたたび妊娠しましたが、祖母は以前のようにはしゃいだりはしません。

私は気恥ずかしさから、大きくなったお腹をあまり誰彼さわらせたくないのですが、祖母とふたりきりになったときには必ず祖母の手をとり、自分のお腹に導いています。祖母は顔をくしゃくしゃにして、幸せそうに、笑顔いっぱいに撫でてくれます。私の胸くらいの背しかない祖母のそんな様子を見下ろしていると、おこがましいかも知れませんが、祖母が彼岸へ逝くのを先延ばしにし、今この世につなぎとめているのは、私とお腹の中のこの子なんじゃないかと思えてきてしまいます。

 

祖母は以前のように思い出の品を広げなくなり、そのかわり、部屋を片づけはじめました。93歳までやっていた表千家の先生をついにやめ、実家のお茶室を私の里帰りに向けて整えるのだと言っています。

里帰りする約束なんてしていないのに、弱ったなあ。しかし私は無下にもできず、祖母の先走りを咎めることができずにいます。なので、ほんの少しでいいから里帰りさせて、と夫にお願いしているところです。